Hintストレスドーズの現実

副腎皮質機能低下症の一部の日本のコミュニティでは、自発がない場合は特に「ストレスドーズは必須」「追いコートリルしないと危険」という前提で語られることが少なくありませんでした。私自身も、これまでそうした言葉の影響を受けて、「自発がない=コントロールが難しい」「常に追加を意識しないといけない」と、どこかで思い込んでいた部分がありました。

でも、今回あらためて論文(市民公開講座で共有されていたもの)を読み込んでみて、その前提が必ずしも現実を反映していないことに気づきました。

今回参照したのは、原発性(先天性副腎過形成・CAH)の成人患者を対象に、ストレスドーズ(SD)の実態を前向きに調べた研究です。この研究では、成人CAH患者145人のうち、習慣的にストレスドーズを行っていた29人(約20%)は、最初から解析対象から除外されています。つまり、「日常的に増量を前提にしている人」は、別の群として切り分けられていました。

残る116人を、平均約2年半にわたって観察した結果は、次のようなものでした。

  • 約2割は、数年単位でストレスドーズを一度も使わずに生活していた
  • 約6割は、「必要なときだけ」ストレスドーズを使っていた
  • 約2割は、日常的にストレスドーズを使っている別群(habitual SD

ここで大切なのは、この研究が「ストレスドーズを非常時の対応として使っている人たち」を基準に評価している、という点です。日常的に増量を繰り返している人たちは、「良い・悪い」を判断される対象ではなく、そもそも前提条件が違う群として扱われていました。

この結果を見て、少なくとも言えるのは、原発性・自発なし・フル補充という前提であっても、ストレスドーズは「日常の一部」ではなく、「非日常のたまの対応」として成立している人が多いという現実です。

続発性で自発が残っているケースでは、HPA軸の状態や回復の余地に個人差があります。そのため、原発性のデータをそのまま当てはめることはできませんが、少なくとも「自発がない=追いコートリルが前提」という考え方が、すべての人に当てはまるわけではない、という視点は持っていてよいと思います。

ストレスドーズは、命を守るための大切な手段です。ただしそれは、「常に使うもの」ではなく、「必要なときに、正しく使うもの」。その位置づけを、あらためて整理することが、過剰な不安や不要な増量を減らすことにもつながるのではないかと感じています。

言葉や情報が与える影響

ここまでの結果を見ていて、もうひとつ感じたのは、情報や言葉の影響です。日本の一部のコミュニティでは、「自発がないなら追いコートリルは必須」「足さないと危険」という言葉が繰り返し語られてきました。同じ病気の人たちから、同じメッセージを何度も受け取っていると、それが事実かどうかとは別に、「そう判断しなければならない」という前提が無意識のうちにできてしまうことがあります。

その結果、本来は「非常時の対応」として設計されているストレスドーズが、日常のコントロール手段として使われるようになったケースもあったのかもしれません。

論文に示されているように、実際には数年単位でストレスドーズを使わずに過ごしている人や、必要なときだけ使って回っている人が多数いることを知らないままだと、自分の体調の感じ方や判断も、知らず知らずのうちにその前提に引っ張られてしまいます。

これは「病は気から」という意味での気合や根性の話ではなく、どんな情報を前提として体と向き合っているかが、日常の不安や行動、ひいてはコントロールの仕方に影響する、という意味での話だと思います。

参考

2025.12.16 掲載

副腎皮質機能低下症のメカニズムに関する情報は「Note」へ、補充療法のヒントは「Hint」へ、その他の情報は「Misc」へ、メッセージ経由でいただいた質問の一部は「FAQ」にまとめています。読んでくださった方が、自分なりの工夫を見つけるヒントになればうれしいです。

※体験をもとに整理した内容であり、医学的助言を目的としたものではありません。医療に関する判断を行う際は、必ず医師にご相談ください。