Miscやきもちの裏にあるもの
「楽しく生きたいから、無理はしない」そういう考え方も、とても大切だと思います。自分を追い込みすぎず、心地よく暮らす。そんな生き方は、今の時代にとても合っているし、私自身もそのバランスを大事にしています。
けれど時々、こんな場面に出くわします。
努力を選んだ人が、努力しない人にやっかまれる。
たとえば、健康のために食生活を整えている人や、日々コツコツと身体を動かしている人に対して、「そこまでしなくてもいいのに」「ストイックすぎて可哀想」「無理してる」「どうせ続かないよ」――そんな言葉が投げかけられることがあります。
努力をしない自由は、もちろんあっていいと思います。でも、その自由を選んだのなら、努力している人を否定する理由はないはずです。
それでも、もし否定するような気持ちが芽生えてしまうとしたら――
それは、「自分がやっていないことをして、それで幸せになっている」誰かの姿が、自分の価値観を揺さぶるからかもしれません。
あるいは、努力している人が楽しそうに見えたり、キラキラと輝いて見えたりすると、自分が信じていた「楽しい」の基準に、自信が持てなくなってしまうのかもしれません。
変わるには少しの勇気がいります。そして、変わらないままでいることも、ひとつの立派な選択です。
でも、その選択をしたのなら、違う選択をした誰かの人生に、必要以上に口を挟むのは、少し筋が違うのではないでしょうか。
「自分はこのままでいい」と言うなら、他人がその人なりの努力で得た結果も、素直に受け止められる自分でいられること――それが、本当の意味での“自由な人”なんだと思います。
「努力しない人生」を選んだはずの人が、「努力している人」の動向を気にしてしまう理由は、もしかすると――「変わらないと決めた自分」に、どこか納得しきれていないからかもしれません。